心地よい時間と大いなる錯覚
あいだに別の本を入れるつもりだったのだけど、結局『1Q84』を読み終えてしまいました。作者得意の比喩がおもしろく、文体が心地よく、最後は降りた電車のホームで読了。ストーリーは――うーん、どうなんだろう、正直にいうと、これだけ売れるのが不思議の(よい意味での)まとまりのなさを感じました。
英米の原書を読んでいて、圧倒的なうねりを感じながら物語の小さなほつれがあちこちにあって、訳書を出しましょうと強力にプッシュできないことがあります。わたしとしてはミステリじゃないんだから、すべての手がかりに意味がなくてもいいじゃん、と思いもするのだけど、たぶん日本の読者には整合性のないものは受け入れられないだろうなとも想像するわけです。だからもしも物語としての『1Q84』がこれだけ広く受け入れられるのなら、あの本もこの本も全然OKじゃんみたいな錯覚を起こしそうになります。これは社会現象で村上春樹というブランドだから特別で、多くの人はファッションで購入しているんだろうなあ(だから2匹目のどじょうはない)とはわかっているつもりなのだけれど。









